被爆から64年ぶり。交付した県は、認定理由を明らかにしていないが、原爆投下翌日に米軍機が撮影した長崎湾の写真が決め手になったようだ。
菊地さんは特攻用魚雷艇(全長約18メートル)の乗組員として、爆心地から5〜6キロ・メートル離れた長崎港に停泊していた船内で、甲板に出る直前に被爆した。
戦後、会社勤めをするうちに体調を崩し、40歳代で大腸がんを患った。健康診断では肝機能の低下を指摘され、肝硬変や白血球値の異状が続いた。
しかし、軍人気質から被爆したことは隠し続けた。「雇ってもらった会社に具合が悪いなんて言えなかった」という。原爆症が認定されるニュースを見るようになって、昨年4月、ようやく県に申請した。
当時の乗組員がみな死亡し、被爆を証言する人がいないことが交付の障害になったが、昨年11月に長崎市を訪ねて被爆地を探し出した。その後、同市の支援者が原爆投下翌日に米軍機が長崎港を撮影した写真を入手し、送ってきた。それには菊地さんの魚雷艇と見られる小型船や菊地さんが記憶する軍艦が写っていた。この写真と、菊地さんが持っていた魚雷艇の船長らの写真が、被爆の証明と認められた模様だ。
菊地さんは「病気で家族に苦労をかけてきたが、私の言っていることが認められてうれしい」と感慨深げに話している。
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